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【東新町コーヒーブレイク】 [【個人】オリジナル小説]

【東新町コーヒーブレイク】
東新町商店街
 誰にだってひとつくらい小さい頃の楽しかった想い出ってあるよな。
俺は子供の頃、『お出かけ』が好きだった。
ここで言う『お出かけ』ってのは近所のスーパーに買い物に行くことじゃない。
いつもよりオシャレをして、いつもよりも都会の街に行くことだ。
普段の生活圏にはない高いビルやデパートに胸を弾ませハシャギまくり、帰りの車の中では疲れ果てて爆睡。
『お出かけ』の記憶は、この歳になった今でも宝物のようにキラキラしてる。
でも、それは記憶の中だけの話。

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 バブル崩壊以降の二十年続く大不況により、日本全国の地方都市はどんどんと活気が無くなったよな。
徳島ももちろん例外じゃなく、俺が子供の頃にお出かけしていたあの街並は見る影もなくなった。
インターネットが広がり、田舎も都会と同じ物と情報を変わらないスピードで手に入れれるようになり、
卸売業者と消費者が直接繋がることで『より早く、より安く、欲しい物だけをピンポイントで買える』ようになった。
わざわざ買いに行かなきゃいけない街の商店なんて、消費という経済活動の蚊帳の外だ。
その便利さのおかげで街から人が居なくなる。
人が居ないから商売が成り立たない、商店はシャッターを閉める、シャッター街に行っても欲しい物はない、だからネット通販する。
『シャッター街』のレシピは至ってシンプル。
『デフレ』に『便利な世の中』を混ぜるだけ。フルーチェ並に簡単。
 俺はひょんなことから、そのシャッター街の空き店舗でコーヒー豆を売ることになった。
一見、完全に寂びれて冷えきってしまったようなシャッター街でも、中に入って商売をしてみるとそこに息づく人達の熱が伝わって来る。
グツグツと煮えたぎるような熱湯じゃなく、ほっと一息つけるコーヒーぐらいのもんだけどな。
美味いコーヒーを淹れて待ってるから、あんたも是非飲みに来てくれ。

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 「マジでシャッターばっかだな、、、。」
高校を卒業した十八歳から二十九歳までの十一年間、徳島を離れて暮らしていた俺の最初のひと言だった。
『東新町商店街』、徳島駅から南西に徒歩十分くらい歩いた所にあるアーケード街だ。
俺がガキの頃にはたくさんの商店が軒を並べていた。
洋服、靴、鞄、傘、雑貨、オモチャ、レコード、本、なんでも売ってたし、当時はシネコンなんか無かったから映画館が三軒もあった。
極めつけは、マクドナルドとミスタードーナツ!!
県南の田舎、小松島市で生まれ育った俺にはめったにいけない憧れのお店。
マックシェイクを初めて飲んだ時、何が口の中に入って来たのかが分からずにビックリしたのを今でも憶えてる。
 その頃の俺には、東新町は大都会。まぎれもないメトロポリスだった。
夏休みの子供映画を観た後はお決まりのコース。マクドナルドで食事をして、オモチャ屋に行くのと交換条件におふくろと姉ちゃんの買い物に付き合う。
女性のウィンドウショッピングに付合うのが苦じゃないのは、この頃の経験が役に立ってるのかも知れない。
今は宝の持ち腐れだけどね。

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 そんなメトロポリスも、俺が高校生くらいの時から雲行きが怪しくなっていた。バブル経済の崩壊。
東新町は『徳島そごう』という大きな百貨店に客を持って行かれてはいたものの、『高級品はそごう、日用品は東新町』と棲み分けが出来ていてそれなりに活気はあった。
だけど、バブルが弾けた後、少しずつ街の様子が変わり出した。三軒あった映画館も二軒がいつの間にか姿を消していた。
 高校を卒業して県外へ出た俺は、その後、どんな風に街が変わっていったのかは知らない。
ただ確実なのは、十一年ぶりの東新町は半数がシャッターを閉めた『くすんだ灰色の街』になり果てていたってこと。
見本のようなゴーストタウン化を目の前にして俺は唖然としていた。
けど、まだまだこの街の衰退はそんなものじゃなかったんだ。

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 それから数年の衰退スピードは予想を超えるものだった。
マクドナルドがなくなり、ミスタードーナツがなくなった。個人商店はどんどんとシャッターを閉めた。
建物の老朽化も進んでいたのだろう、更地にして駐車場になっている所もたくさんある。
とどめを刺したのは、徳島市郊外にシネコンが入った大型ショッピングモール『フジグラン北島』が出来たこと。
かつての東新町から無駄が削ぎ落され、便利さと楽しさがコンパクトに詰め込まれた白い箱。
なんだか、ここ数年の携帯電話からスマートフォンへの進化みたい。
そんなに便利さって重要かな?
俺は思うんだけど、ちょっとくらい不便でややこしい方が実感があって楽しいと思うんだけどな。

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 日本全国の都道府県どこも同じだと思うけど、街から元気がなくなると「地域再活性だ、街おこしだ」と言い出す奴が現われる。
本気で真面目に取り組んでそうな人もいれば、まるでとんちんかんで胡散臭そうな奴もいる。
まぁ、俺からすると全員、胡散臭く見えるんだけど。
大不況というサバンナで生きる為、俺のような弱小商店主には草食動物並の警戒心が必須。
 そんな地域再生を謳う人達の中に『東新町商店街の空き店舗を使った、日替わりオーナーのレンタル店舗』をしている人がいると聞いた。
聞くところによると『シャッター商店街の再生』を目指しているという。
俺は頭が悪いので、地域再生や再活性をするにはどうすればいいのかなんて分からない。
耳障りのいい言葉だけを並べ、その実は地域に根ざしている人達を無視したナンセンスな計画なんてのもたくさんある。
このレンタル店舗の計画がどっちかなんて俺は知る由もなかったが、
大好きだったあの頃の東新町に戻るかも知れないって可能性を感じれたのはちょっと嬉しかった。

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 ある日、こんな話が聞こえて来た。『シェアバー』と名付けられたそのレンタル店舗は、その名が表すとおり夜に使用されることが多く、平日の昼間はほぼ使われていないという。
当時の俺は、どうにかウチのコーヒー豆を徳島市内で販売出来ないだろうか?と考えていた。
いくら徳島が車社会だと言っても、徳島市からわざわざウチにコーヒー豆を買いに来てもらうのは簡単じゃない。
 行き詰っていた俺はその話を聞いてすぐに飛びついた。シェアバーのオーナーに連絡を取り、『月イチ、どこかの月曜に丸一日借りる』ということになった。
月曜はウチの定休日、つまり、俺が自由に動けるのは月曜だけ。
『休日を返上して働く』、それがデフレ時代の弱小個人商店の企業努力。
なんだか救われない話。

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 東新町商店街は徳島市街地の中心部に位置しているアーケード街。
いくら寂びれたとはいえ、雨風や直射日光を避けれるから通行人も多いはず。
「ちゃんとアピールをすれば、月イチでコーヒー豆を買ってくれる顧客が出来るかもしれない!」
ガキの頃の東新町のイメージが先行し、俺は期待とやる気でいっぱいになった。
 そこで俺はコーヒー豆の販売にあたり、どうすればたくさんの人に興味を持って貰えるのかを考え始めた。
ちなみに考え事をする時の音楽は、ビル・エヴァンス・トリオのワルツ・フォー・デビィ。
軽快なピアノの旋律が思考の渦にハマり込みそうになるを防いでくれる、それでいてしっとりとしたジャズの名盤だ。
何度目かのリピートの後、最高のナイスアイディアが浮かんだ。
『朝に焙煎をしたばかりの焼き立てコーヒー豆』を販売、店では試飲を兼ねて飲んでもらう。
でも、これにはひとつ問題がある。休日返上のうえに早起きまでしなきゃいけなくなる。
なんて二重苦。流行りのブラック企業みたい。
 その後もいろいろと考えるうちに、想い出の東新町で商売が出来るという嬉しさが強くなり、二重苦なんてどうでもよくなっていた。
しかしその数日後、俺は『シャッター街』という現実をまざまざと思い知ることになる。

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 出張販売初日。その日は、十一時にオープンした。
六時に起床、すぐさま焙煎にとりかかる、九時に小松島を出発し、十時に到着そして開店準備。
オープンするまでに五時間の労働、店の営業よりもヘヴィ。
でも、この日の俺はそんなことは気にならないほどワクワクしていた。
 iPodから大好きなオアシスを呼び出す。記念すべき一曲目はモーニング・グローリー、清々しい朝にぴったりのゴキゲンなロックナンバーだ。
まぁ、リアムは「まだ寝かせといてくれ!」って歌ってるんだけどね。

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 意気揚々とオープンしたものの、三十分経とうが一時間経とうが来客はひとりもなかった。
それもそのはず、シェアバーの前を誰ひとりとして歩いてはいなかったのだ。
「まだ午前中だし、しかも月曜だからこんなもんだろ。」
独り言ちてはいたものの、俺の中にはすでに不安が芽生えはじめていた。

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 正午を過ぎた頃、三人の来客があった。皆、SNSを見てくれた人達が昼休憩を使って来てくれた。
店をやってる人なら経験があると思うけど、客商売ってのは『人が人を呼ぶ』ことがある。
さっきまでガラガラだったのに一瞬で満席になった、みたいなね。なんだろう、『流れ』みたいなものかな?
数学的には『ポアソン・クランピング』って名付けられてるらしい。まぁ、興味があるなら勝手に自分で調べてくれ。
俺はその『流れ』を期待して、次の来客に備えていた。しかし、そんな簡単にポアソンはクランピングしない。
三十分経過、一時間経過、二時間経過、、、誰も来ない。
たまに通行人はいるが、先を急ぐOLやサラリーマン、ヤマトやサガワの配達員、店の前のATMに用がある人。
「コーヒーいかがですか?今朝、焙煎したばかりの焼き立てですよ!」
もちろん誰からも反応はない。見向きもされない。
もう店じまいして帰ろうかな。

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 休日返上して、早起きをして、場所代を払って、なんなら駐車場代もかかってる。
「このままじゃ、俺の今日がまったくの無駄になってしまう。たまにはそんな日もいいだろうけど、それは今日じゃない、だって今日は初日だ。」
俺は店の前に立って、道往く人、全員に片っ端から声を掛けることにした。とは言っても一時間に五人いるかどうかだけど。
 道の向こうから見事な銀髪のお婆ちゃんが歩いて来た。俺はいつもの三倍のスマイルを振りまく。
「ホットコーヒーいかがですか?休憩していきませんか?」
「あれ?いつの間にこんなとこに喫茶店ができたん?」
見た目の印象よりもハリのある声、喋り方だけでサバサバした性格だとわかる。
「いや、店は小松島なんだけど、月に一回、ここに出張カフェに来てるんですよ。」
すると、ミセスシルバーは物珍しそうに店の方を見て、
「ほな、ちょっと飲んでいこか。せっかく小松島から来てくれとるんやからな。」

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 出張カフェと言えども、やるからには百パーセントのコーヒーを出したい。だからケトルやドリッパー、コーヒーカップに至るまで用具一式は全部ウチから持参した。
シェアバーにもコーヒーカップはあるけど、俺のコーヒーは俺の選んだコーヒーカップで出したい。
見た目もコーヒーの味の重要な要素だからね。
 自慢のボンマックのコーヒーミルで豆を挽いているとミセスシルバーがおもむろに言う。
「あぁ〜エエ香りやなぁ〜。」
「でしょ?今朝、焙煎して来たばっかですからね。正真正銘の焼き立てですよ。」
自慢げに言い放つ、俺の鼻の穴も膨らんでたかもしれない。
「この先の店にコーヒー飲みに行こうと思っとったんよ。でも、ここがあって良かったわ。
昔と違って店も全然少なくなっただろ?コーヒーを飲むのも一緒の店ばっかりになってしもてな。
ホンマは色んなお店に行ってみたいんやけど、もうお婆ちゃんになってもたから遠出も出来んしな。
月に一回でもお兄ちゃんの店が来てくれたら嬉しいわ。
それに、お店のシャッターが開いとるのを見るのもホンマに嬉しい。」
ミセスシルバーの最後の言葉に、俺はちょっと目頭が熱くなった。
ここにもシャッター街に成り果てた東新町に、もの悲しさを感じてる人がいる。

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 俺の中の東新町なんて、逆算するとたかだか数年のわずかな記憶でしかない。
しかし、ミセスシルバーの中の東新町はおそらく昭和から続く数十年。
どんどんと近代化され、たくさんの商店が立ち並び、徳島一の繁華街になっていく様も見てるだろうし、バブル崩壊後のみるみる衰退し、街から活気がなくなっていく様も見てきたのだろう。
 そしてなにより、彼女は今もこの灰色の街で買い物をし、散歩をし、つかの間のコーヒーブレイクを楽しんでいる。そう考えると彼女の持つ東新町への悲哀は、きっと俺の何十倍もあるのだろう。

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 ミセスシルバーはどうやら俺のコーヒーを気に入ってくれたらしい。
「来月はいつ来るんで?」
「わからん。まだ決めて無い。でも、どっかの月曜。」
いろいろ話をしている間に俺はタメ口になっていた。俺は基本的に敬語が苦手。
「ほな、月曜にこの前を歩く時は気を付けて見とくわ。ごちそうさん。」
「うん、よろしく。ありがとう。」
俺は東新町の先輩の背中を見送った。

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 次で、東新町への出張カフェは十七回目になる。
手を変え品を変え、今でも試行錯誤の真っ最中。赤字だって何度もある。
でも、なんだかんだで楽しいから続いてる。
 ミセスシルバーも相変わらずコーヒーを飲みに来てくれてる。
この前なんかパチンコ仲間を二人も連れて来てたっけ。
彼女の東新町の中の楽しみのひとつになれたことが、単純に嬉しい。

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 シャッター街の再生とか空き店舗の有意義な使い方とか、俺にはそういうはわからない。
でもひとつわかったのは、今の東新町もそう捨てたもんじゃないってこと。
あの『くすんだ灰色の街』には、金じゃ得られない充実感や達成感を感じれる何かがある。
だから、赤字になっても腐らずにやれてるんだろう。
 寂びれたシャッター街の中でコーヒーを飲むのも、なかなか趣があっていい感じだよ。
東新町コーヒーブレイク、よかったらあんたも一緒にどうだい?
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